父のチンチンを洗う日が来るとは!
みなさま、こんばんは。
南天堂店主のブログです。
わたくし、今日も父の病院に通い、
痰を取る機械を扱う練習と、
オムツを替える練習も2日目です。
父のチンチンを洗う日が来るとは〜。
看護師さんが、
「娘さんが一生懸命やってくれていいわねぇ、私、息子しか居ないからどうしよう…」と。
そうか、息子が母のオムツ替えるって、イメージ湧かない氣がする。
わたくしも確かに、息子にお尻洗われるのは何か気まずいかも。
どうなのかなー。
むむー。
姉が亡くなった時に、
ああ、ひとりっ子になってしまった、と
両親をひとりで看取る覚悟をしました。
こんな日も来るかと思い、
高齢者施設で一年間働き、
夜勤もしてシミュレーション。
そして、現実にそれが役に立つ日が来て、
本当に幸せです。
働いていた施設は認知症対応でした。
わたくしは認知症の人が大好きになり、
父の認知症が酷くなっても全くストレスはありませんでした。
認知症の人と会話するのはとても楽しく、
心に残る名言をたくさん頂けるのであります。
同じ事を100回言われても、
100回とも、初めて聞いたようにリアクションできるわたくしです。
認知症の人は純粋に瞬間を生きています。
そして、自由自在に時空を超えるのです。
父が「子どもの事、忘れちゃった。でも息子がいたら…息子は俺のこと…怖がってたんじゃないのかな。あのオヤジは怖かったなー、って言わなかった?」…
あなたに息子は居ませんよ、お父さん。
子どもはわたくしと姉の2人だけよ。
プッと吹き出しちゃう。
男の子がどうしても欲しかった父はボーイッシュなわたくしをいたく可愛がったのです。
皆川家の直系はなぜか一代おきに女の子しか生まれず、一代おきに婿養子を取るという不思議な家で。
そして長男の父にはやはり、私と姉しか生まれなかったのです。
湊屋という商家の長男に生まれた父は、
「商売ができなくて、勤め(サラリーマン)に出たんだ」という。
「俺は、10円の物を15円で売るというのが…どうもできないんだ」。
「俺は大学に行って、哲学がやりたかったけど、親父にそれ言ったら、凄い剣幕で怒って…バカヤロー!商家の息子に学問など要らない、そんな事言うなら丁稚(でっち)に出すぞ!って言われて。参っちゃったな。商業高校ならまあいいと言うから、仕方なく商業行ったけど、6年間遊んじゃった。河原で喧嘩とかして。硬派だったからな、俺は番長だったんだ」
哲学やろうという人が河原でケンカ?
なんだかなぁ。
でも父は、確かに学歴コンプレックスだった。
酔うと「俺は学問がしたかったのに…親父が…」って必ず始まるのだった。
東京に働きに出て、どんなに説得されてもそのまま帰らず、家を継がなかった。
小さい頃、親戚の集まりとかで叔父とよく怒鳴り合いになっていたな。
「兄貴、なんで帰ってこねぇだ〜!」「うるせー!生意気言うな」…みたいな。
おじいちゃんに対する仕返しかな?って、わたくし密かに思っていたもんです。
ふと、「…子どもたちはみな大学へ行ったのか…?」と聞いてきたので、
「行ったよ。みんな行った」と答えると、
「金は足りたか?」と言うので、
「足りたよ、お金いっぱい稼いでくれたから。ありがとうね」と言ったらすごく嬉しそうに笑った。
ウッ、て泣きそうになりました。
みんなが怖がる短氣な父をわたくしはなぜか恐ろしく思った事は無く、父に口ごたえをしては長いお説教をウンザリしながら聞いたものです。
色んな事を忘れている父だけど、話し出すととても面白い人生が浮かび上がってきます。
(架空の話も多し)
当分、楽しい時間が続きそうです。
レースのカーテンごしに空が見えて、
たまにそっくり返って眺めています。
外が氣になって仕方がないのです。
家に帰ったら車椅子で散歩を楽しみにしています。
神さまに感謝。