声・うた・弦の音・息づかい・眼差し
うたを唄うということは、
私にとってはずっと、
快楽だった。
幼稚園のとき、
小さなプラスチックのレコードプレーヤーを買ってもらった。
母は『レオンちゃんレコード」という子供向けの名曲集を一緒に買って来た。
それをかけて、一緒に歌うのである。
『ゆき』なんかは、マンボのアレンジで、
今思うと、とても凝っていた。
オーケストラの演奏と歌。
この中の『はねつき』という歌が気に入って、
何度も針を落としてそれに合わせて歌っていたと思う。
針をギザギザの隙間のツルツルしたところに落として、
さっと立ち上がって、ピンとした姿勢で歌うんだけど、
何度も何度もやっているうちに、不思議な気持ちになってきて。
歌の途中の「♪ひぃ、ふぅ、みー、よー」っていうところで。
何というか、えも言われぬ気持ち良さで、
何回も何回もそこにくると、恍惚としてくるような不思議な気分になって。
多分、家で、一人で、
大声で歌っていたんだと思う。
そしてあるとき、自分の中をすごい風が、縦に、
下から上にぴゅうー!って通った!と思った瞬間があって。
あっ。て、思って。
それから、唄うのに夢中になるといつもそんな感じになる。
小学校に入ってから、
笛を吹いてたら、あっ!これはあれだ!って、
びっくりした。
これ、あれなんだ!
自分が笛になってたんだ!
って驚いた。
羽みたいなのが、足元からブワッて吹き上がって、
頭から出ていく感じが。
変でしょう?
でもその感じ、ずっとある。
だからわたしにとっては、唄うって笛になるみたいな感じ。
風が、羽根の混じった風が、振動しながら頭に抜けてく感じ。
気持ち良さそうでしょう?
快楽だからやっていた。
だから、人が聴いていてもいなくても良いのだった。
耳がよくないので、唄うのはとても下手だったんだけど(まあ、今でも)。
小さい頃からアレルギー酷くて、何度も中耳炎になって難聴だし。
小さなピッチが聴き取れない。
でも、そんなことはどうでも良かった。
褒められるために上手に唄うよりも、
笛になる快楽を求めてた。
ハマった。
こんなふうに唄えたら、さぞかし…。
快楽に震えるだろうと思った。
宮本浩次さんとか…。
唄う人を、そういう目で見てる。
きっと悪魔に魂を売ったのかな…とか、そんなことまで考えてた(笑)。
でも、自分は小さな名もなき笛であった。
だけん何?
何?!
何か思いだしそう。
この前、ラモン堂でカードリーディングしてもらった。
「FOGETTING」の意味だけが、どうしてもわからない。
何を忘れているんだろう。
明け方の夢で、思いだしそうだった。
ああ、これだ!と思ったのに、
でも、起きたらわからなかった。
むむ〜〜。
そうそう、今日は、昨日のライブのことを書こうと。
最近は、ここ数年は。
唄うことが、人とのコミュニケーションであることを知った。
今さら?
自分にとって、別の意味を持ち始めた。
言葉は重要だけど、言葉でもなく、
振動?というか、声?
空気、かな。
「場」なのかもしれない。
何か、うまく言葉にできないけれど、
そこにいる人たちの振動を感じる。
こっちの振動と影響しあっている。
ちょうど「共感覚」の人が、
音や数字に色を感じるみたいに、
何かを感じるんだと思う。
昨夜は、とても感動した。
そこには「嘘」のようなものがなくて、
そこにいる人たちの美しさ?とも違うなー、
言葉で言えないけど。
私は「嘘」に敏感だ。
人を騙す「嘘」とも違うんだけれど、
人の音色?に「えっ」って反応してしまう。
音色とは、声だけじゃなく息づかいとか、目とか。
その人の真ん中にあるものと違う音が聞こえると、
「えっ」って振り返っちゃうのである。
大事なことほど、驚いちゃう。
そして本人は大事なことほど、気がついてないというか。
でもそれ、伝えたりしちゃいけない。
聞かれたら言うけど、まず聞いてこないし。
稀に敏感な人がいて、私の声を怖がるし。
だいたい、見当はずれかもしれないし。
必要ないから。
とにかく、昨晩のライブは、
そこにいる人たちをとても「感じた」気がした。
感謝しかありません。
ありがとうございました。
ちゃんとしなくちゃね。
イミフすみません。
きっと、もうすぐ「南中の夏至」がくるせいさっ。
結局、「ナニカ」を思い出せないまま…。